北越戦争の勃発

ついに新政府軍との戦争が始まった。1868年5月のことで、俗にいう北越戦争である。戦争がはじまったのはちょうど雨季のころで、信濃川は氾濫していた。戦争は長岡藩の要諦である榎峠や長岡城が中心で、ここの争奪戦に終始した。戦争の当初は、河井の巧みな戦術によって、長岡藩の兵士(長岡軍)たちは新政府軍と互角に戦った。しかし、新政府軍は大軍である。やがて新政府軍の兵力に押されだして、長岡軍は徐々に後退し、5月19日に長岡城を占領された。しかしその後、長岡軍は6月1日に今町の戦いから逆襲に転じると、7月24日に新政府軍の意表をつく八丁沖渡沼作戦をしかけ、9月11日に長岡城を奪還。しかし、その戦いのさなかに河井継之助は左膝に流れ弾を受けた。重傷である。指揮官の河井が負傷したことで、長岡藩兵の指揮能力や士気は低下する一方だった。しかも、途中で合流するはずだった米沢藩の兵士たちは敵兵に遭遇して、長岡軍と合流するのに時間がかかってしまった。その結果、新政府軍に対して長岡軍と米沢軍が合同で攻撃するという作戦は遂行できなくなった。やがて、新政府軍は体制を立て直し、反撃に撃って出た。もはや新政府軍の勢いの長岡軍はなすすべもなく、7月29日に長岡城を再び奪われてしまった。そこで、河井継之助たちは会津藩へ落ちのびていった。北越戦争は新政府軍の圧倒的な勝利に終わったのである。

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