河井継之助の軍政改革

河井継之助が長岡藩の軍政改革を始めたのは1868年からだった。彼の考えは、 「今後の戦争は、一人ひとりの武士が刀や槍を振り回して、個人武芸をためし合うものではない」 「集団戦であり、組織戦だ」 「武器も刀や槍に代わり鉄砲や大砲が主なる」 「戦いに必要なのは、組織人としての自覚であり、チームワークである」 「チームワークを生むためには、武士の間に身分制度が設けられていると邪魔になって、意識ばかりが発達し、肝心な集団能力が生まれてこない」 「そのため、とくに下部の待遇をよくしておかなければならないと、やる気は起きない」  というものだった。河井継之助のこうした考えはまさに当時としては先見性があった。河井継之助の禄高改革と軍政改革は対になっており、お互いが相乗効果の狙ったふしがある。軍政改革と同時に、兵士の調練や武器の訓練などのおかげで、長岡藩の兵士は、32小隊・1152人となった。そして、各自に元込め施条銃ミニエー銃1挺ずつを与え、軍としては、大砲30門を購入した。

サイトMENU

Copyright (C) 2007 河井継之助 All Rights Reserved.
健康食品