河井継之助の人物像

河井継之助は背丈はあまり高くはないが、声はよく、眼の色は鳶色だった。徹底した実利主義。異常なほどの本好きで、気に入った本があるるとすぐに写経を行った。物事の見方は鋭く、すぐに本質を見抜いた。幕末、士農工商制度の崩壊や薩摩と長州らによって新政権が樹立されるであろうことを予測していた。藩の命令には素直に従うことは少なく、常に重役連中から叱責されたが、本人は叱責されてもそのことを気にするふうでもなかった。泰然自若と聞き流していたふしがある。本来なら、河井継之助の家柄では家老などの上級職になれなかったが、河井はゆくゆくは自分が家老職になるしかないと周囲に言い触らしていた。河井の改革の一つであった遊郭の禁止令を施行したとき、禁止以前はいつも遊郭に通っていた河井のことを庶民は揶揄して「かわいかわい(河井)と今朝まで思い 今は愛想もつきのすけ(継之助)」と詠んだ。新政府になってから長岡藩の復興に力を尽くし、米百俵で有名な小林虎三郎は親戚である。なお、河井継之助について長岡市民が残している言い伝えがある。それは、「北越戦争で両手足を失ったが、果敢に戦った」であり、「戦の時は藩士に精力を付けさせるよう、自分の飯を全て分け与えていた」などである。いずれにしても、河井継之助は新潟県の中越地方では、山本五十六と並び称されている。

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