郡奉行就任と藩政改革

1865年12月、河井継之助は藩主・忠恭に命じられて、長岡藩の郡奉行に就任した。その後、1866年3月に御普請掛、10月に御番頭格郡奉行兼帯、1867年4月に寄合組、御奉行格、同年10月に御年寄役、1868年4月に御家老本職、御家老上席、そして、同年6月に軍事総督職に就任した。河井は出世の階段を上り詰めながら行ったことは、藩政改革と軍制改革だった。しかし、藩の財政は火の車だった。そこで河井継之助は次のような方針を打ち出した。 ・藩が自己努力の姿勢を示す。 ・借金の返済方法を確立する。 ・借金の使途を公開する。 ・増収策を考える。  そして彼が行った藩政改革は、 ・水腐地の処分。 ・治山治水、特に中ノ口川の改修。 ・社倉の創立。 ・賄賂、奢侈、賭博の禁止、遊郭の廃止。 ・毛見制の廃止。 ・河税、河株の廃止。 ・寄せ場の新設。 ・兵制改革。 ・藩士の持高増減と役職手当の改正(藩士の俸禄を100石より少ない者は増加し、100石より多い者は減額に)。  などである。これらの改革は藩主・忠恭の容認のもとに行われた。

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