河井継之助、家督を相続と西国遊学

1856年、河井継之助は旅に出た。長岡藩から北上して出羽(現在の山形県)の温海(あつみ)から石巻、仙台など、東北各地を一周した。
1857年、父の代右衛門が引退したのをきっかけに、継之助は家督を相続することになった。31歳のときだった。
このとき、忠恭が藩主になり、継之助は「外様吟味役」を命じられた。
「外様吟味役」とは、藩のなかで起こる揉め事や紛争を裁断する役目である。しかし、彼はこの役目も途中でほうり出してしまった。
もう一度、勉強をしたいと藩主や重役たちに申し出たのであった。
そして、1859年正月、彼は再び江戸に遊学し、古賀謹一郎の久敬舎に入った。
さらに経世済民の学を勉強するために、備中松山藩の山田方谷のもとで学ぶ。
継之助は山田方谷を初めは農民出だから「安五郎」という通称で呼んでいたが、山田方谷の言行一致のふるまいと、山田方谷が指揮した藩政改革の成果を目の当たりにして、態度を改め、あらために傾倒するようになった。
継之助は山田方谷のもとで学問の修行を重ねながら、佐賀や長崎にも足を運び、見聞を広めることになる。
1860年、江戸に戻った継之助は横浜に住んだが、再び、長岡藩へ戻った。

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