河井継之助、もう一つの事件

長岡藩主牧野忠雅の養子は三河西尾藩主・松平乗寛の三男である忠恭である。
この時代、相続人は江戸に住むことになっていた。そこで、忠恭が江戸に住んで いたころ、河井継之助に注目し、何かと目をかけるようになった。
その理由は「重役たちに刃向かうおもしろい若者がいる」というものだった。忠恭は河井継之助を寵愛し、学問をはじめいろいろなものを彼から学んだ。
そして1855年、江戸の務めを終えて忠恭が長岡藩に帰藩するときに、長岡に戻ったら河井継之助に学問の講義をしてもらってくれと、重役たちに頼んだ。
重役は忠恭の申し出を承知し、河井継之助に忠恭の希望を伝えた。
ところが継之助はその申し出を一蹴した。これに驚いた重役が断りの訳をたずねると、自分の学問を自分のために学んでいるのであって、他人に教えるために学問をしているのではない、というのが断りの理由だった。
重役が何度頼んでも継之助は断り続けた。そこで怒った重役たちは河井継之助に次のような叱り状をだすことになった。

 河井継之助殿
 その方儀、若殿さまご入国につき、文武芸事ご聴覧もこれあるとこと、一流に もまかりいれず候段、いまだ壮年にて、心がけよろしからず、不埒のことにつき、お叱り仰せつけ候
 叱り状を受け取った継之助は、すでに病気として登城できないことを伝えてあったから、何もすることがない。
そこで逆に「お伺い状」を提出した。それは次のような内容だった。
  ・お叱り中は門前に簀を張りましょうか。
 ・やむを得ない用事がある節は、ちょっと表に出てよろしいでしょうか。
 ・家の中に病人が出たときは、医師を呼びたいと思いますがいいでしょうか。
 云々……。
 こんなことが河井継之助と重役たちの間で延々と続いたのである。

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