農村地帯からの藩政改革

河井継之助の藩政改革は城の中央からの改革ではなく、農村地帯など地方から改革していったことが特徴である。地域から自分の考えを実行し、地域でこれが実現できれば、その輪を広げて、城を包囲する、という考え方にたっていた。彼はまた、改革は一人の落ちこぼれや積み残しもなく、みんなが手を取り合って進めなければならないと考えていた。彼が最初に手掛けたのは、水腐地の処分だった。水腐地とは水害にあった地域のことで、藩政府は年貢を5年間免除していた。ところが、現地の代官や地元役人は、地域を束ねる庄屋と結託して、この制度を悪用していた。5年という免除の期間をかってに延長して、農民から年貢を巻き上げ、着服していたのである。これを聞いた継之助は、代官や地方の役人をすべて首にし、結託していた庄屋にも罰を与えた。そして、彼らが着服していた年貢をすべて藩の正式な収入にしたのである。着服していた役人たちを断罪することによって藩は6000俵の米を得ることになった。さらに、継之助は農民の士気を高めるために、毛見制の再検討と地域に社倉を設立した。毛見制は豊作、凶作にかかわらず、年貢の率を一定に定めておいて、農民は決められた年貢を納める制度である。一定の年貢を払えば、農民は残りの米は自分のものにできるので、これは農民の士気を高めることになった。

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