禄高制度の改革

1867年長岡藩主・牧野忠恭は家督を牧野忠訓に譲り隠居。河井継之助は年寄役(中老)に就任し、藩政改革の仕上げとして、藩士の禄高制度(給与制度)を次のように改定している。 (減高) 2千石→500石 1300石から1100石→400石 700石→300石 600石→200石 450石〜300石→170石 280石〜200石→150石 190石〜150石並びに45人扶持→130石 140石〜100石並びに38人扶持〜28人扶持→100石 (増高) 97石→100石 90石並びに25人扶持→95石 85石〜80石→90石 75石並びに20人扶持→85石 67石〜50石並びに17人扶持〜14人扶持→80石 48石〜40石並びに13人扶持〜14人扶持→75石 38石〜30石並びに9人扶持→65石 29石〜24石並びに8人扶持〜7人扶持→60石 22石〜20石並びに18俵以下5人扶持→50石  禄高制度の改正は、下に厚く上に薄くというものだった。河井継之助のすれば「やがて武士が一つの成分として発展解消を遂げる新しい社会では、数の多い下の者が活躍するようになる」という考えからすれば、これは当然の処置であった。

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