河井継之助死す

北越戦争で敗北した河井継之助ら一行は、八十里峠を越えて会津へ入る途中で、河井は次のような歌を詠んだ。 「八十里 腰抜け武士の 越す峠」  そして、峠を越えて会津藩の只見村で休息した。只見村で河井は医師の松本良順の診察を受けた。これは、長岡藩主・牧野忠恭が寄越したものだった。食欲も旺盛だったらしく、松本良順がもってきた牛肉をペロッと食した。しかし、河井の傷はすでに手遅れの状態で、いつ死が訪れても不思議ではない状況だった。河井継之助は自分の死期が近づいていることを予見していたかのように、部下たちへ「これからは庄内藩と行動をいつにすること」などを指示している。また、長岡藩主の世子である鋭橘をフランスへの亡命させることも命じている。さらに、同行していた外山修造という人物には、商人になるよう指示している。8月12日、河井ら一行は会津若松へ向けて出発。同日に塩沢村(現在・福島県只見町)に到着。河井の傷は深みを増し、8月16日の午後8時頃、死去した。享年42。

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