軍政改革の資金をためる

867年10月、徳川慶喜が大政奉還を行うと、政局は一気に動き出す。薩摩藩と長州藩を中心とす討幕派は同年12月9日に王政復古を発して幕府を事実上廃止ニする。長岡藩は、大政奉還の知らせを受けると、藩主・牧野忠訓や河井継之助らが京都に赴いた。河井は藩主に代わって議定所へ出頭。徳川幕府を擁護をしたためた建言書を提出。だが、朝廷の反応はなかった。1868年1月3日に、鳥羽・伏見で旧幕府軍と新政府軍が衝突。旧幕府軍は会津藩と桑名藩が中心で、新政府軍との間で戦闘が開始された。いわゆる戊辰戦争である。河井継之助ら長岡藩は大坂を警護していたが、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が破れ、徳川慶喜が船で江戸へ逃げたのを知ると、急遽、後を負うようにして江戸に舞い戻った。そして、藩主の牧野忠訓らを長岡へ帰した後、河井は長岡藩の江戸藩邸を処分。藩邸にあった家財道具などの財産をすべて売り払った。家財道具を売却した資金を元に、当時、価格が暴落して米を買いあさり、船で函館へ運んでは売りまくって資金をためた。そうやってためた資金を軍資金にして武器の購入することのしたのである。河井継之助は十分な資金がたまると船で長岡藩へ戻った。

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