ぜいたくを禁止

河井継之助は郡奉行の在任中に数々の藩政改革を実行していった。「改革の継之助」という評判が他藩に知られるようになったきっかけは、中ノ口川大改修工事だった。中ノ口川は信濃川の支流で、上流に比べると下流は川幅が狭く、いつも洪水を起こしていた。中ノ口川は長岡藩だけでなく各地の藩にまたがっていたため、長岡藩だけでは工事ができない。そこで河井継之助は各藩に工事の要請をしてまわった。そして、工事が完成したときには、河井継之助の名前はとなりの藩にも知れ渡っていた。その後、藩主・忠恭から町奉行を命じられた。かれは、町奉行に任じられたときにこんな誓いをたてている。それは、「ぜいたくな暮らしを改めさせること、と同時に、そのぜいたくな気持ちから出たいろいろな悪いしきたりや行いをいっせいに改めさせること」だった。彼は町奉行に就任するとすぐさま検断をはじめ、町の実力者たちを町奉行所に招いた。そして、改めて町奉行としての決意を述べた。「長岡の町からぜいたくを追放したい。それが町奉行としてのわたしの仕事である。ぜひみんなに協力してもらいたい」と。当初、反発していた町の実力者たちもしだいに河井継之助の言うことを聞くようになった。そこで、賭博や遊郭を禁止し、取り締まったために犯罪者が増えてしまった。そこで継之助は犯罪者を収容するだけでなく、更生させる施設をつくった。それが寄せ場だった。その寄せ場で犯罪者たちは昼間は仕事をし、夜は継之助が講義をして心学を教えた。そして社会復帰しても問題のないものはどんどん釈放した。

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